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プラダ
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プラダの歴史

プラダは1913年に創業開始しました。
創業者のマリオ・プラダとその兄弟が、ミラノに皮革製品のインポート・ショップをオープンしたのがはじまり。。
 
1970年に国立ミラノ大学政治学科を卒業したミウッチャ(Miuccia・Prada)が祖父マリオの死後ビジネスに加わり、72年パトリツィオ・ベルテッリとの共同ビジネス開始。78年、ミウッチャ・プラダが3代目デザイナーに就任。
 
85年プラダ シューズコレクションを発表。カジュアルなナイロン地であるポコノを使ったハンドバッグやリュックが大ヒット。
88年レディースコレクションを発表し、1989年からプラダ ウェアラインがスタート。92年姉妹ブランド「ミュウミュウ」、94年メンズコレクションを開始。
 
98年秋からは「プラダ アクティブスポーツ」というスポーツラインが登場。2000年から参加しているヨットのアメリカズカップで、プラダ号のセールにも掲げられている。アメリカ杯への参加後、このラインは「PRADA SPORTS(プラダ スポーツ)」となった。
 
日本法人はプラダ本社100%出資のプラダ・ジャパンに、ジル・サンダー、ヘルムート・ラング、チャーチの各ブランドと、アイウェアのEID、コスメティックのCIDの6社。
いずれもプラダジャパンの青木栄子(前)社長が代表となっていたが、すべて独立法人であり、事業展開も独立して進められている。
ただし、日本市場の戦略は事実上、プラダジャパンが統括して戦略の整合性をとっているほか、物流やITなど企業基盤の共通化も進めている。
 
国内でのジル・サンダーはプラダ2001年春夏物、従来のサンフレールから新しいジャパン社の事業にすべて切り替わり、直営店は青山と大阪の路面店、百貨店インショップはレディス6店、メンズ1店を継続し、丸の内にも新しいプラダ路面店を出す計画。
 
ヘルムート・ラングはプラダ2000年秋冬物から小売り及び卸売りを新しいジャパン社が行っている。
 
チャーチもプラダ2000年秋冬物から新しいジャパン社が事業を引き継いでいる。
(現在のプラダ・ジャパンの社長は本国から送り込まれたダヴィデ・セジア)。
 
2003年3月に銀座、6月7日青山にプラダ直営店を出店。
プラダ青山店は「東京を舞台に世界に発信するプロジェクト」として位置付けられ、世界で2店舗目の「エピセンター(震源地)」と呼ぶブティック。
ちなみに1店目は2001年末、元美術館の古いレンガ作りビルを改装したソーホーの店で、オランダ人建築家、レム・コールハウスが設計。
壁面一杯のカラフルな絵、オブジェのような2倍サイズのマネキン、天井からぶら下がる移動式ゲージ、買物客が中に入ると液晶パネルのドアが透明から不透明に変わる試着室などで知られる。
こうした設備の一部はプラダ青山店にも踏襲されると思われる。
プラダ青山店の設計はヘルツォーグ&ド・ムロンが手がけました。

 
 
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